2018/04/15
誕生日の2日後だった。
わたしは朝からバイトで、携帯を見ることができずにバイトの昼休みに少し遅れて知ることとなった。
木曜日の夜に、フライデーを見た。
適当な記事書きよるわ!とオタクみんなで笑いとばした。
笑えなかった。
音楽活動のために、ひとりでやってみると。
ジャニーズ事務所に、関ジャニ∞に甘えることなくひとりで音楽をやると。
すばるくん自身はたくさん考えて考えて、然るべきタイミングだったのかもしれない。
でも、何も知らないわたしはなんでこのタイミングで、と思ってしまった。
なぜだか、漫画BLEACHの巻頭詩「僕はついていけるだろうか、君のいない世界のスピードに」を思い出した。
小4で野ブタをプロデュース。でジャニーズに落ちて小5で関ジャニ∞に落ちた。
出逢いは必然で、今年23の歳を迎えるわたしは、関ジャニ∞を追いかけて12年目に突入した。
すばるくんが音楽と本気で向き合っているのはすぐにわかったし、村上担だけど、わたしはすばるくんの音楽が好きだった。
Flat five flowersという元ジャニーズJr.だったFive(今は退所)と組んだバンドがだいすきで、まだ中学生だったけど、今はなくなったお台場のJohnny’s Theater にも行ったし、マッチさんとやったJ-Rock familyの武道館にも、SHIBUYA-AXでやったツアーにも行った。
味園ユニバースも観て涙を流したし、ソロCDも当然のように買った。
中学生になって親からコンサートに行くことの許可が下りて最初のコンサートだった2008年の夏コンでは、Desireが美しすぎて初めて音楽で泣いた。
渋谷すばるのつくる音楽が大好きだし、彼の歌声に何度も救われた。
だけど、すばるくんがソロで音楽活動をするたびに、少しだけ、本当に少しだけ不安になった。
このままどこか遠くへ行ってしまうのではないかと。
最近は、そんなことはなかったはずなのに。
不安なんて全くなかった。
関ジャニ∞として、全員が音楽にしっかりと向き合った今、向かうところ敵なしだと、まじで天下を取れると、そう、思っていた。
大倉くんと同じことを思った。
きっとみんな思っただろうけど。
関ジャニ∞にいては叶えられないことなの?ジャニーズ事務所にいては叶えられない?日本でも学べることはたくさんあるよね?少しだけ活動休止して、また戻ってきたらいいんじゃないの?これからの関ジャニ∞は、すばるくんのいない関ジャニ∞は、どうすればいいの?
会見を見て、声をあげて泣いた。
こんなに悲しいのは、人生で初めてだった。
すばるくんが抜けることが悲しいのはもちろんだけど、入ってきたときに既に泣くのをこらえる錦戸亮とか、泣きながら話す横山裕とか、いつでも優しい丸山隆平とか、冷静にファンに寄り添うようなそしてすばるくんが大好きなわがまま末っ子大倉忠義とか、こんなときまでいつも通りのトーンで少しだけおどけて話すわたしの一番大好きなひととか、(すばるくんの背中を押したら自分の背中は打撲しちゃった安田章大とか)関ジャニ∞が、友達として、必死に送り出そうとしてる姿に、これから6人でもがんばろうとしている姿に、涙が、止まらなかった。
6人の関ジャニ∞を、応援できるかわからないと思った。わたしのみてきた12年全部が変わってしまうのに耐えられるか不安だった。
デビュー当時からのKAT-TUN担の友人に、今も過去も未来も全部を応援してあげないと、本当にエイトがなくなっちゃうよ、と言われた。
その通りだと思った。
わたしの一番好きな人たちは、それぞれがんばろうとしてるのに。
もう決めたことなのに、それについていけなくてどうする。
頭では、わかっているんだけど。
わかってる、わかってるんだけど。
今は、どう生きていいかわからない。
関ジャニ∞は、今までわたしの人生そのものだった。
関ジャニ∞は絶対だと思ってたし、終わるはずないって思ってた。
だから、それが揺らいじゃうと、わたしの人生の根幹が揺らいでしまう気がするんだよ。
勝手だけど。
ファンは勝手な生き物だよ、しばらくはこの勝手さを許してね。
すばるくん。
関ジャニ∞は一生の誇りだというすばるくん。
わたしは、7人でてっぺんとるところが見たかったよ。
でもすばるくん。
本当に大好きだから、絶対に世界の渋谷すばるになってよ。
絶対だよ。
将来6人でもてっぺんを取った関ジャニ∞と笑いあってよ。
歌うことに満足したり、歳をとって声が枯れて、歌えなくなったら、またエイトレンジャーをやってね。
松竹座とかで!
わたしは、関ジャニ∞は7人だと思って生きていくけど、すばるくんのことは心から応援してるよ。
今はまだ気持ちの整理がつかないけど、これだけは本当の気持ち。
ああでも、やっぱり、わたしはついていけるだろうか、すばるくんのいない関ジャニ∞の世界のスピードに。